久しぶりのロングライドで、想定外のプチヒルクライムで、かなりパンチを食らった感があったが、海沿いの景色と、サイクリングにはちょうどよい、というかちょっと我々には暑く感じるぐらいの気温で、快調にこの日の目的地である、元寇防塁跡に到着。
観光地化はされていないみたいで、ものすごく小さな看板を見落としたりして見つけ出すのにちょっと苦労する。現在の防塁は写真の様に砂に埋もれた状態。700年以上も前のものだから当然で、一部だけ掘り返されて、復元されている。
この程度の高さで、あの元軍を追い返せたのかと、ちょっと拍子抜けするぐらいの高さしか無い。
ご存知の通り、モンゴル帝国はユーラシア大陸の西は東ヨーロッパから、東は日本への元寇にまで影響がおよんだ強大な軍事力を誇るもの。わたしも教科書程度の知識しかなく、モンゴル軍は騎馬での作戦に長けていただろうから、船で日本に渡って戦うのは不得手だったのかなぐらいの認識だった。それに台風はしょっちゅう来るわけだから、元寇にちょうど当たってラッキーだったんだろうなと。
帰ってきてから、改めて
元寇(wikipedia)を読んでみた。日本側の文献資料からの視点はもちろん、元側の資料もかなり研究されているようで、充実した内容。これをみると、元のクビライは南宋の攻略と同時に日本の攻略にも並々ならぬ執念を燃やしていたようである。朝鮮半島の民や船も動員して10万単位で押し寄せているのである。
神風など、わたしはまったく信じていない。南宋の脆弱な船と、何百という船をつかった戦術に不慣れなうえに、何ヶ月にもわたって北九州の海域で攻防していれば、台風に当たるのはほぼ100%。そのこともしっかりwikipedia上でも分析されている。
元軍のつかう弓矢は日本のものよりも少し射程が短かったが、毒矢だったらしい。それが一騎打ちではなく、集団戦法で襲い掛かってくるのだから、日本の武士も苦戦しているが、結局は日本側も集団戦法を使っている。
日本は「和をもって貴しとなす」くにであって、「武の国」などではないというのが、私の思うところだが、海外の日本分析記事の中に「日本は結局、武の国」などというのがあって、違和感を感じていた。この元寇(wikipedia)を読むと、クビライの日本攻略は本気である。ヨーロッパ人も震え上がったあの強大なモンゴル軍を真正面から戦って撃退しているのである。海を隔てているというラッキーがあったのだが、外から見たら「元を撃退した日本は武の国」という印象を与えてしまっているのも、すこし納得した。