を突いて来ましたよ。
「平和、平和って、念仏みたいに唱えるだけで、本当に平和になるのか?」という批判的な意見を最近よくみる。もちろん念仏「だけ」で平和がキープできるとは思わない。最近のクリミア半島とか見てると、本当に難しいなと感じる。
元寇のことを勉強しなおしてみると、海を隔てた島国でほんとうにラッキーだなと思う。ほとんどの国(民族)は地続きで、自分たち以外の他国(他民族と)接しているわけだから。まあ、現代では大陸間弾道弾も原子力潜水艦もある。それでも海という緩衝帯があるというのは、地続きとはだいぶ違う。ある意味特殊な状況とも言えまいか。「普通の国になる」などといきり立たなくてもいいように思う。島国だとか憲法九条だとか、特殊性を逆利用すればいいんじゃないかな。
広島・長崎の原爆記念館なんかもそうだが、それを復讐の橋頭堡にするのではなくて、平和のための記念碑として風化させない。
これは、屈折しているようにも見えるが、知恵だとおもうな。
「世界で一番好かれている日本人」なんてタイトルの本が最近売れてるらしい。平和を保つには「あの国とことを構えるのはやめとくか」と思ってもらうのが一番いいのだから、喜ばしいことだと思う。隣国からちょっかい出されて(尖閣とか)ストレートに軍事力で対抗する姿を世界は期待しているのだろうか?世界屈指の装備と能力を持ちながら、九条があるからやり返せない、という自縄自縛みたいな状態ですったもんだしている姿を世界中が見てるとおもう。普通の国から見たらへんてこな姿でしょうね。
でも、この鐘を突きながらおもったことは、それでいいんじゃなかろうか?ということ。無理に普通ぶるよりも、いまは「平和、平和」と念仏を唱えておこう。
いつも人に「ものごとは、いろいろな方向から眺めて、考えなきゃならん」と説教ぶつのが仕事。
ちょっと、実践してみた。
鐘の音は、鐘の中で聞いたらどう聞こえるんだろう?
ものすごい大音響?
って、ことはありませんでした。
普通に外側から聞くのと同じでしたね。
音の大きさというのは、振動の振幅なわけだから、中と外でそんなに大きく違うわけはなく、
考えてみれば当たり前かも。